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いま思い出した。 おとつい見たバイトさんの履歴書、右半分がなかった(cf.6月2日のブログ)。 趣味とか、資格とか書くほうの面だ。 「ないな」とは当然気づいてたのだけど。何より写真、そして学歴職歴のインパクトが強すぎて、もうどうでもよくなってたのだ。しかしよく考えたら、それってどうでもよくないぞ。 問題は、そんな履歴書のフォーマットが存在するのかということ。そしてその答えを私はうすうす知っている。 改めて考えなければ見過ごしてしまいそうなことだけど、履歴書の規格というのは、実にむちゃくちゃ面倒臭くってやかましくってややこしい。 実際、特に未成年である高卒者を高校の指導下に就職させる場合などは、本籍も家族も保護者の年齢も本人との関係も、中学までの学歴さえ書かせちゃいけない。現行のJIS規格が採用してる、「男・女」欄に丸を付けさせる形式もダメ。 理由は大ざっぱに言って、被差別部落、片親や親のいない家庭、移民、帰国子女、女性、インターセックスのひとなどに対する差別につながるからだという。 私はこの流れを一応肯定します。でもね。 こうゆう理由というか皆様のご主張を、いっこいっこ拝聴して回りつつ、完璧に差別的表現のない言い回しで、「以上よろしくお含みおきの上ご了承願います」、で〆る勧告書を作るのは結構ホネだった。いやん。 出来上がったものを客観的に見ると、もうこれはビジネス文書というより職人の仕事というか、一種の「すすどさ」漂わせるシロモノだった。 そんなものでも、よく頒けてくれないかと言われたから、思わぬところで使われてたりするんだろう。 我ながら気前いいなと思ったけれど、あんな、神経壊れそうになるほどデリケートな作業をする人間は少ないほうが平和だし、どうせ必要なものなら遺漏の少ないフォーマットが流通するに越したことはない。 しかしそれでも、「二信」のほうが需要があったのは釈然としない。 「第一信」は初めに送りつけるやつで、「ひととして正しいことをしましょうね♪」という調子。 「二信」は、それでもゆうこと聞いてくんなかったかた向け。つまり、「怖いひとが来てあんたが困るよ」。 ……そんな、オノレの子どもを叱るのに「そこのおばちゃんが怒るからやめようね」のごとき愚かな母親じみたこと、ひととして穢い。叶うことだったら、やりたくなかった。 ただ現実問題として、「二信」を欲しがるひと多し。 私 「第一信のデータも、併せてお送りしましょうか?」 同業者 「いえ、こっちだけで結構です」 私 「わかりました」 そんなやりとりを虚ろにやりつつ、「多いんだな。恫喝されなきゃ、正しいことができないひとって」なんてセンチになってみたり。 ……いらんこと思い出して長くなったが、つまり、履歴書業界というのは世間に対して防御的にならざるを得ん、ということが言いたかった。 以上の経験を踏まえ、いちばん蓋然性の高い結論は。 「応募してきたおじさんが、市販の履歴書を、自分で半分に切った」 ‘漢’だ。 っていうか、ボス、なんでこのかたに入社試験受けてもらおうと思ったの? 40余名の応募者のうち、書類選考で4人だか5人に絞ったんでしょ。 あなたがモノズキだから? 「趣味」の欄に、「無自覚なナイスバディ系」と書いてきた履歴書を拝見して以来、もう、これ以上すごい履歴書はないと思ってた(cf.10月27日のブログ)。 世の中には、私の想像も及ばぬ世界がたくさん存在する。 この2人が、ともに採用組、とかね。 つか、ボス。私にも期待してる? このかたの新人指導。
by tokyo_ao
| 2005-06-04 18:03
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